
7月13日(日)、集住研究会で京都へ。それが終るとおのずから祇園祭の宵山をめでる。動く美術館のような山鉾にみとれる。新町通百足屋町は、平安京造営以来今日まで1200年の歴史をもつ日本最古の歴史的街区である。見事な鉾を見上げつつ流れる妙なる祇園囃子に耳を傾け、ふと下をみるとぶあつい本『百足屋町史』が目にとまった(図1)。
その表紙には、町並みの中に「會所」の字がくっきりと浮かんでいる。江戸時代に自治組織としての町組(ちょうぐみ)等の会合の場所として、かつ取引所の総称としても使われていた。しかし、会所のはじまりは、鎌倉時代に逆のぼる。連歌会や茶寄合の盛行とともに、それにともない寄合の場として「会所」が成立したことにある。
会所とは文字通り寄合いの場所の意であり、室町時代に本格的に発展していった。それは、幕府における年中行事、ことに和歌・連歌・猿楽・松拍子・茶の湯・立花など各種の文芸・芸能が盛んに行われたことと無縁ではない。
鎌倉や京都において発生・発展した会所は、安土・桃山時代、名古屋の町がひらかれた400年前には、家康はそれまでの会所の意味に加えて、一街区の真中の共用空間を会所と呼び(図2)、神社仏閣や火の見やぐらなど、人々が安心して暮らせる地域生活基盤としての意味を付与した。
※『花の名古屋の碁盤割』より
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「錦二丁目まちの会所」は、こうした日本の都市文化の発展史に流れる、寄合い交流し生きる豊かさを表現しあう場と、まちなかに職・住・祭共存のための安心居場所という二重の意味を、新しい状況のもとに展開しようとスタートした。
まだボチボチであるが、オープン後2カ月たった今、次のような場として生彩ある使われ方がなされている。
マスタープラン策定委員会・同企画会議等、まちの未来を語りあう寄合いの場
名古屋大学・中部大学・ASU等、若き学徒がここに参集しまちから学びまちに提案を投げかける共に高まりあう場
海外や他学会の人々が来所し、内外の多様な人々の交流と発信の場
地区内経営者等キーパーソンが出入りし、町の新しい情報や動きを交換する場。とりわけKさんは連日のようにこの場にあらわれ、この地区にかかわって55年間の歴史と、激動の今をめぐる状況を多面的に語って下さる。彼曰く「ここでしゃべっておくと言葉を銀行に預けたような気分となって、そのうち充実した提案となってかえってくるかも・・・」と。
果たして人々のつぶやきの連鎖と蓄積が、まちの未来像を共感をもって合意できる「利子」つきの成果につながるであろうか?
「まちの会所」には熱いエネルギーが渦巻きはじめている。