高齢者だけを分離しないで、子どもを育む世帯も、若いOL等も共に住む多世代融合型の集まり住みあう住まいを「ミクスチャーハウス」という。
名古屋市に隣接する長久手町の「ゴジカラ村」では、雑木林につつまれた敷地3300㎡に、高齢者50戸、子育て中のファミリーや若年・熟年シングルなど20戸が混ざり合う「ミクスチャーハウス」の設計をすすめてきている。
地主・事業主の吉田一平さんは、この25年間、時間やルールにしばられないアフター5にちなんで、ひとりひとりが自由に生きうる「ゴジカラ村」を営んできておられる。そこには、デイサービス、ケアハウス、グループホームなどの高齢者向け施設と、「もりの幼稚園」など子ども向け施設等が立地する生活福祉村が成立している。
「ゴジカラ村」周辺は、土地区画整理事業が行われ、都市化の波はおしよせてはきているが、そこに入ると雑木林が生かされたやわらかい風景がひろがっている。自然ともまざりあい、多世代が共に住み、多様な価値観も相互ににじみあい、まるでおいしいおでんのようなコミュニティを「ミクスチャーハウス」と位置づけ、住み手参加で設計をしてきた。
小生はその総合コーディネーターとしてかかわっており、「ミクスチャーハウス」ではどんな住み方を目指すかのキモチづくりから、具体の共用・専用空間に設計するカタチづくりに至るまで、住み手希望者たちのホンネトークを重ねてきた。
この3月末で着工の段取りで進めてきたところに、突然の巨大複合災害。早速一平さんは、東北の福祉の現場に救援活動に出かけられ、今後継続的に多面的支援をかの地に集中しなければならないことに気づかれた。加えて、折から建設物価の急騰がはじまり、着工することが極めて困難な状況が判明。3月27日(日)、オーナーの一平さんは、住み手の会のメンバーに「ミクスチャーハウス・プロジェクト凍結」を説明された。
住み手の面々は、誰ひとり「ここまできて凍結はひどい」という非難の言葉を発することなく、「あんな大惨事がおこったのだから、私たちも被災者に対して何かできることをやろう」「無意識のうちに原発を認めていた自分を反省。原発なしでやっていけるライフスタイルとは何かを考え実践したい」「今後もミクスチャーハウスと住み方のありようを求める話し合いをつづけていきましょう」等々の積極的意見がつづいた。
ゴジカラ村のミクスチャーハウスのこれまでの歩みをアーカイブ化し、東北の地で実現できる資料の礎にできればと、そしてゴジカラ村により進化したミクスチャーハウスが実現することを願っている。