「人は、誰かと会うために生き、誰かと語るために生き、そして一番大切な誰かを支えるためにまた生きる。」まちの縁側の可能性をこのようにとらえているのは「ぎふ地域新聞」(発行玉宮町人会,2008年12月)である。
縁側とは「内と外」「個と社会」「人と人」など、様々な出会いやふれあいが生まれる場所です。学校は「おとなと子ども」「学校教育と社会教育」など様々な人が出会い学びあう場所として「まちの縁側」といえると思います。・・・と唱えているのは東京都公立中学校PTA協議会。そこが新年1月18日にとりくむフォーラム「出あい・ふれあい・育ちあい―まちの縁側としての学校を見つめる」のチラシにこのようなエンガワ・コンセプトがみられる。
まちの縁が輪づくりを、地域的に広げる活動を系統的にすすめている長野市ボランティアセンターのある資料には、「縁側的提案のススメ」として「①商店の縁側的要素の再発見・見直し ②我が家の縁側を見直し・再発見 ③公共の場を開く、縁側的発想で開く ④鎮守の森の再発見、伝統文化で縁側づくり ⑤思いにこだわるベンチ」をあげ、既存のまちのストックを活用しながら多様な縁が輪づくりをすすめようとしている。あわせてエンガワ発想として「もう駄目だと思うのも想像力、まだまだいけると思うのも想像力。どちらの想像力にかけるか。まちの縁側づくりで「和気あいあいのまちづくり」を進めよう。「縁が輪」になるように。」と示されている。
昨年末、沖縄の糸満市に出かけた時、かの地には人と人の間にゆるやかな「もやい」のくらしとまろやかな「縁が輪」が根づいていることに感動した。
このような「縁が輪」の思想と実践の各地での拡がりは何を意味するのだろうか。
「市場の失敗」と「政府の失敗」による大変な悲哀の多発する状況の中で、「変」をこえるのは、ヒト・モノ・コトがゆるやかにつながり合う「縁」ではないだろうか。「まちの縁側」ムーブメントは、「変」を「縁」にかえる地域社会の底力を育くむことにつながる。
社会が根源的に病んでいる時代に、だれもがキゲンよくくらせるまちを育むためには、ヒト・モノ・コトの良縁の分かちあい(sharing)を地域の内側から多様に展開していくことが重要である。その持続と拡がりが社会を健やかなものに変えていく。社会(society)という言葉自体がそもそも「分かちあい」(sharing)を意味するsociusに由来し*、分かちあいは多様な縁が輪づくりの地域的実践の積み重ねにあるとすれば、「縁が輪」の「分かちあい」は新しい時代にふさわしい相互支援社会を創造することにつながる。
私たちは居住地にある「まちの縁側MOMO」を通して、そして都心にある「錦二丁目まちの会所」を通して、ヒト・モノ・コトの良縁の分かちあいの場を創造的に紡ぎつづけていきたい。
弓なりの島の各地域に、これまで以上に「変」を「縁」にかえる「無限縁人(エンジン)」を育み合う楽しさの中にわけいっていきたいという志を表明して新年のごあいさつとしたい。
延藤 安弘
<注>*エドワード・ケーシー:場所の運命,新曜社,2008年,p.15
◎この原稿はまちの縁側育くみ隊「ENGAWA NEWS」の再掲です。