情報という名の乾いた砂が世界を覆い尽くしているこの現在に、疾走感あふれるダイナミックな発話行為によって、参加者にゆえ知らぬ情動のざわめきを喚起させる事件がおこった。
6月12日(木)のヨル、錦二丁目「まちのデザイン塾」、2008年度の1回目のこと。講師は東京からやってきた平林久和さん。テーマは、
まちのマネジメントとは何か?
―リーダーとコンサルの限界/マネージャーとカウンセラーの可能性」
前半が お話、後半は会場からのカルタ表現の意見・質問とのやりとり。平林さんは、起承転結のある話はしませんと前置きしつつ、次から次への思いもよらぬ話の即興の流れ。ぼくは感動と驚きのために、今日の話はまとめはできないと思っていた。が、最後に司会者からまとめ発言を求められた時、やはりいつものようにやってしまった。
頭韻要約は、発話と応答全体の捉え直し、あるいは再構成である。その日は錦二丁目まちづくりのマネジメント力とは何かの観点から、次の7つのキーワードに束ねつつ押韻要約を試みた。
どぎもをぬく意表をつくアイディアの化学反応をおこす
―「私の成分表」表現による自己紹介の痛快なおもしろさにはじまり、平林氏自身も参加者の意表をつく質問・カルタ表現に化学反応的に触発された様相。人の意識に化学反応的変容を起こす触媒は、脱常識への意思である。
宇宙のひろがりの心の持主としての人間力を育む
―空海・ダビンチ・利休の共通点は、分子と宇宙の連続性のとらえ方にあるように、ミクロ・人間とマクロ・宇宙は相互につながっているととらえられる想像力をコトあるごとにきたえつづけること
にこやかに盃をかわしつつ、出会いとサヨナラを次から次へと進めていく
―井伏鱒二訳の漢詩のように、花と嵐の両方を受容しつつ状況をくぐりぬけていく
カウンセラーのように全身で聞く耳をもち、対話・応答しつつ物語りを共につむぐ
―「聞き屋」となる時、相手(住民)は自由につぶやき、住民・専門家・行政が共にナラティブにコトを進めることになる
すさまじいトラブルをエネルギーにかえる=コンフリクト・マネジメント力
―そのためには、中庸・選択・両立・役割分担・別要素の付加の5つの手段を状況の中で使いわける
るんるんわくわく楽しい「プロシューマー」*1になり、自己開示しながら「活私開公」の世界をひらきつづける
―プロデューサー+コンシューマーとしての「プロシューマー」(つくり手であり受け手である)は自己実現しながら、その魅力をまわりにひろげることによって、私発協働、私を活かしつつ「新しい小さな公」を育むことになる
力まずに起承転結をつけ、それをこえていく「ジョハリの窓」*2を大切にしつづける
―秩序だった取り組みをしつつ、それにはしばられずに状況変化に対してオープンエンドな(未来に開かれた)進め方を育む
ところで、各行初めの言葉をたてに束ねると、
ど・う・に・か・す・る・力
である。マネジメント力とはいかなる状況においても「どうにかする力」なのだ。やりとりの中で地元のキーパーソンのおひとり船橋さんは、「どうにかするのは人間力の母である」という名言をつぶやいた。
この日の平林さんの発話と会場でのやりとりのエッセンスとしての「どうにかする力」のセンスとスキルは、これからの「錦二丁目まちの会所」の運営やマスタープラン策定過程に十分に生かしていきたい。
―まち育て「マネジメント力」をひとりひとりの中に、日々の状況の中にレイアウトせよ!
―自己と他者の間で「どうにかする力」を分かちあおう!
<注> *1 アルビン・トフラーの言葉
*2 ジョセフ・ルフト、ハリー・インガムの「ジョハリの窓」